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スペインでサッカー指導者として活動する坪井健太郎のBlog

日本と欧米のスポーツ文化の感覚の違い ~ソチ五輪の記事から~

こんにちは。

今日のバルセロナは昨日までと打って変わって暖かい気候で春を感じさせてくれるものとなっています。


スポーツに対する投資の価値観の違い

さて、ネットを見ていたら気になった記事があったのでそれについて僕の意見を書かせていただこうと思います。

それはこちら

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140213-00000006-jct-ent&p=2

『メダル逃した選手は税金泥棒なのか 強化費不足の中「メダル取れ」は選手に酷、為末大が異議唱える』

記事にはブラック企業がどのこうのという余計な尾ひれがついていますが、そこにはあまり関心はありません…

さて、現在行われているソチ五輪に関しての記事であり、国費をもらってオリンピックに参加しメダルを逃した選手の対応について記述されているものです。

「好成績を残すべき」「負けたら『楽しかった』とコメントすべきではない」というコメントですね。

みなさんはこのような情報を見てどう思いますか?

僕は、これを見た時にまず感じたのは「スポーツの文化」の違いだなと思いました。

強化のためには大きなお金が必要なのは明白で、スポーツとお金はどう考えても切っても切れないものです。

欧米のスポーツ文化では、スポーツに対する「投資」が必要だという事は間違いなく日本よりも当然のことと捉えられています。

サッカーで言えば、ヨーロッパのトップレベルのクラブでは日本のトップとは比較にならないくらいの巨額のお金が動いていますし、アメリカに行けばメジャーリーグやアメフトがそれに当たります。

しかし、日本と欧米では投資の感覚が違うのではないでしょうか?

この記事を読む限り日本の感覚では「投資をしたら結果が出て当然」という風な考え方が根付いているのではないかと感じました。

僕の視点では、それは違うと考えています。

どんなに巨額なお金を投じても不確定要素にって結果が出ないときもあります。

特にオリンピックやW杯などの超が付くようなハイレベルであればそれは尚更です。

なぜかと言えば、選手のレベルが拮抗していて能力以外のその他の予測不可能な要素が勝敗を分けることがあるからなのです。

それは、天候だったり審判のジャッジ(ジャッジは僕の中では心理作用によって変わるものと捉えていて不確定要素の一つです)、雰囲気、会場の状況などいろいろです。

選手は一生懸命やっていると思いますし、4年という長い準備をしてきていますから最高レベルのアスリートたちです。

その選手達でさえもコントロールできない要素がありそれによって勝敗が決まるということを理解している人たちなら、強化費を受けているのだからメダルを取って当たり前、ましてや税金泥棒などという意見は出てこないはずです。



お金をもらって義務を背負う日本と、援助を受けて可能性を楽しむ欧米

もう一つは選手の敗戦後のコメントに対する批判です。

試合後のコメントで「楽しかった」と言うコメントは本当に適していないのでしょうか?

強化費はなぜ投資されているのか?

勝利の可能性を広げるために投資されていることは間違いありません。

しかし、それだけなのでしょうか?

もっと深く考えるとオリンピックで成果が出ることで、国民に勇気を与えたりスポーツの価値を高めることが目的なのではないでしょうか??

選手が「オリンピックに出て楽しい経験ができた」というコメントは間違いなくスポーツの文化を発展させる貴重なポジティブな発言です。

本当にやりきったアスリートは例え結果が出なくても「やりきって納得している」というコメントをします(サッカーでもそうです)。

子供からしたら、「あー、オリンピックに出ることはこんなにすごいことなんだ。じゃあ自分も目指してみよう」となるのであって、それがポジティブなコメントに対して批判を浴びているようではそれを見ている未来のオリンピック選手のモチベーションを剥奪しているだけです。

変なプレッシャーをかけてどうするのでしょうか?

まだ競技をする選手もいるのに…

こんなことでは、日本のスポーツの文化の促進を期待する「投資=強化費」が原因でスポーツの価値を下げてしまうことになっているのではないかと僕は危惧しています。

強化費を受けることが後押しを受けるのではなく「過剰な義務を背負う」としたらスポーツ選手からしたらそれは過度なプレッシャー感じるのではないしょうか。

それに、スポーツはお金をかければ結果が「確実」に出るような単純なものではありません。

この辺の意識の違いにも、スポーツへの理解アスリートへのリスペクトの差があるように感じました。

勝利のためだけの強化費ではなく、その先にあるスポーツの素晴らしさが日本に浸透しスポーツ文化が発展するための「投資」であると理解するのであれば、競技に参加する選手が与える好影響にフォーカスする方がいいはずで、少なくとも結果が出なかったことに対するバッシングよりも良い影響を与えられるはずでしょう。

それに加えて為末氏が「『お金はないがメダルは取れ』は少々、選手に酷な状況」と言うように、日本の投資額は世界の標準から見たらとても少ない額でありますから「その中で世界トップレベルの成果を出すのが当たり前」という基準も明らかにおかしいと思います。

これではお金とプレッシャーだけ渡して「あとは僕らは何も知りませんよ、勝ってくださいね」と明らかに選手だけのせいにしているように見えてしまいます。

競技の成績とは、その瞬間だけのものではありません。

その背景には長い年月をかけて準備をしてきて、そこには選手を支えるスタッフ、選手に関わる全ての人、すぽーんさー、トレーニングする施設、国民の応援などすべての人や要素が影響を与えているのです。

ということは、バッシングをしている人たちも少なからず成績には影響を及ぼしているわけで、「選手に最高の成績を出してもらう」という一緒に戦っているという思いを持ったサポーターであればたとえ成績が惜しくもメダルに届かなかったとしても選手を湛えることが自然なのではないでしょうか?

その方が、選手も国民もオリンピックを純粋に楽しむことができるはずですし、オリンピックは各国が競争し合って「俺たちの国の方が上だ」というような国力の見せ合いや変な見栄の張合いをする場所ではなく世界が一つになり平和を求める場所なのですから。

僕はスペインに住み、外から日本を見ていますが「日本はまだまだスポーツに対する理解が成熟していない」ということは様々な出来事から感じていて、それは非常に勿体ないと思うことがたくさんあります。

このようなコメントはその例であり、本音を言えばこのようなネガティブな意見が国民のほんの一部から出ているものであると信じたいところです。

4か月後にはサッカーもワールドカップを控えていますから、この時の国民の反応も気になるものですね。